映画「ナラタージュ」〜松潤は松潤である

眼鏡男子好きとしては、眼鏡松潤を見られる映画「ナラタージュ」を見ずにはいられまい。

 

しかしながら。そもそも島本理生の本は「リトル・バイ・リトル」しか読んだことないけれど、彼女がいいと思って書いているものがちっとも良く思えず。ツボが違うのかもしれないという不安はあった。

 

ナラタージュ」も実は、別アカのフォロワーさんが好きだと言ってたので原作を最初の方だけ読んでみたのだけれど、なかなか気持ちがのらずに読みすすめられなくて、いや、私はこんなところで好みじゃない小説を無理して読んで人生を浪費しているわけにはいかないとリタイアした。やっぱり合わないのかもしれない。

 

 

それでもめげずに映画を見てみると、私的に読むのがだるかった仲間のことあれこれやドイツの両親の話はサクッととばされていて。なんだ、話ここから始めればよかったんじゃ?

 

以下、ネタバレ。

 

 

一番納得いかなかったのは、葉山先生が妻と離婚していなかったこと。嫁姑の折り合いが悪く、精神に異常をきたすまで追い詰めてしまった負い目があったため、という説明だったけれど、どんなことがあろうと自分の親を殺しかねなかった人とやり直すなんてむりでしょう。いったい姑からどんな扱いを受けたのか知らないけれど、自分の親ではないし逃げ場はあったはず。家に火をつけるなんて信じられない。私だったら家を出て行く。

 

そして泉。先生を諦めようと小野くんとつきあうとかありえない。心に他の人がいるのにどうしてまた新しい男の人を受け入れられるというのだろう。小野くんが怒るのも無理はない……と思いきや。

 

その小野くん。ただのDV予備軍。携帯見せて?からの、泉が男につけられて怖くて電話で助けを呼んだ時、「ここで行ったら僕をもっと好きになってくれる?」みたいなことをのたまう。葉山先生に負けたくなかったらそこは無条件にとんで行け!とんで行って点を稼げ!

そして、別れを告げた泉に対して土下座しろって言った瞬間、こいつほんまもんのクズやわ、と思った。泉を誰にも渡したくない、独占欲からの嫉妬……とかじゃない。彼女にあげた自作の靴を脱いでけ、とかも。裸足で帰らせるのかい。相手に対する思いやりが一切ない。

 

まあ、恋なんて本来身勝手なもの。だけど相手が欲しいあまりに…という姿勢があまりにも見えなかったので、相手を想う切なさを想像するところまで気持ちが到達できなかった。

 

 

愛って結局何なんですかね。今のところの私の答えは、相手の生きる苦しみを少しでも軽くしてあげること。そのためにならいつだって抱きしめてあげたいし、抱かれてあげたいし、離れれば苦しくなくなるなら、離れる選択をする。

 

そういう意味では最後に葉山と泉が別れを決意したのは正しい選択だった、のかなあ。でもさ、奥さんのところに戻ってしあわせになれるとは到底思えないんですけど。

 

それに最後に、え?ここで?寝るんだ?と思った。

 

別れを決意して、相手の存在を自分に刻み込むために抱き合う。……という流れの切ないシーンの筈なのに、いや、結局寝るなら今までなんだったんだよ!って思ってしまって。

 

映像はとてもうつくしかった。ベッドシーンもいやらしい感じなどまったくなかったし。

 

 

何なんだろう。この違和感。

 

やはり、葉山先生はもっと影のある静かな存在感の人がよかったのではないか。有村架純もなんだか暗さが感じられない。二人きりの社会科準備室で手作りクッキーをあげるところとか、ただカッコイイ先生に憧れに近い恋を抱く女子生徒、という平凡な少女漫画的シチュエーションとしか映らなかった。

 

追い詰められた泉が、どこか暗さを隠している葉山に救われたことで、お互いの暗い半面が引き合いながらも、お互いが救われた。そういう話としてまとめてほしかったなあ。

 

 

ナラタージュ (角川文庫)

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